感情的な人には負の出来事しかやって来ない~私が犯した後悔の出来事~

自分が人を嫌えばその人にも嫌われる、怪訝な顔をしていれば相手にも同じ顔をされる。イライラしてばかり生活していると不運しかやって来ない。そんな当たり前の原点に今一度戻り、自分の感情を整理することができた。

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私が感情をコントロールできなくなってしまったのはいつからだろう。そうだ、次男を出産してからだ。長男が1歳3ヶ月の時、次男が誕生した。
やっと初めての出産を終えて育児のリズムが整い始めた頃に妊娠が分かり、長男を手探りで育てながら新しい家族を迎え、2人の子育てが始まった。子ども二人に飼い犬一匹のお世話は余裕などなかった。どんどん塞ぎ込んで今思い返せば育児ノイローゼのような状態だったのだと思う。そんな状態で毎日にこにこ笑っていられることも次第に減っていき、気づけば怒りを思いのまま露わにする人間になっていた。
そんな自分が嫌だ、このままじゃ駄目だと分かっていながらもう自分でコントロールする能力など失っていた。

冷静さを見失っていく日々 本当は笑っていたいのに……

感情の赴くままに怒りを露わにするとろくな事がない。まして30を過ぎた大人がそのようなことをしていいはずもない。後悔先に立たずという言葉があるが、これまでを振り返ると何であんな事をしてしまったのだろうという出来事が山ほどある。

とにかくいらいらしていた私。そんな私は自らどんどん負のスパイラルにはまっていった。

長男が1歳半を過ぎた頃、できることがぐんと増えやんちゃ具合も増していった。食事時には毎回必ずお茶をこぼすし、こぼれたお茶を手でぱちゃぱちゃと嬉しそうに遊ぶ。当然彼に悪気があるわけではないけれど、一日に何度もとなるとこちらのいらいらも募る。怒ってはいけない、怒るほどのことじゃない。そう思えば思うほどいらいらした。お茶がこぼれる度、毎回無言で拭き掃除をしていた。
ある日、テーブルの下に潜り込んで拭き掃除をしている上から味噌汁が私の頭に降りかかった。怒ってしまうと自分がとてつもないことをしてしまいそうな予感がするほど怒りがふつふつとした。本当はその感情を抑えなければいけなかったのだが、私はできなかった。
息子を椅子から引きずり落とした。自分で片付けてよと怒鳴った。

ある時は、畳んだばかりの洗濯物をぐちゃぐちゃにしていく長男の背中を思いきり叩いた。どの時も彼は泣かなかった。そんな事をして馬鹿みたいに泣くのは毎回私だった。

3人目を妊娠して臨月に入ったある日、眠いと長男がぐずり始めた。張り裂けそうなほど大きなお腹では立っているのも一苦労だったがあんまり泣くので抱きかかえた。しかし泣き止むどころか激しさを増し手足をばたつかせる。しばらく耐えたが眠いならおとなしく寝ればいいのにとまた怒りがふつふつとした。
今度は長男を床に投げつけた。彼はびっくりして泣き止んだが罪悪感ばかりが募った。まだまだ甘えたい盛りの中、弟が次々にできていろんなことを我慢していたであろう長男に私は冷静さを保てなかった。

深まる親子の溝、家族との死別

私と父親の関係は昔からあまり良好ではない。父から娘であって娘のようでなかったと言われたこともある。両親は4人の子どもを育てた人たちである。養育するのは大変だっただろう。
父は高校を卒業して直ぐに働く人を褒め、大学への進学を望む私を快く思わなかった。さらに大学卒業後は海外に行き、帰国してやっと社会に出たかと思いきや職を転々とする私を見て、大学に行ったやつは甘ったれだと今でもよく話題にする。

そんな娘が3人目を妊娠して里帰りしてきた。里帰りの予定はなかったが事情がありそのような運びとなった。

何かと意見の食い違う私たちは顔を合わせる度に怪訝な顔をして生活していた。さらに普段、大人だけの生活にやんちゃな3歳児と2歳児、無駄吠えばかりする犬が加わり、私は何かといらいらしているわけだから皆疲れていた。人は疲労が溜まると感情的になりやすくなるもので、家の中には険悪なムードが漂っていた。
些細なことで口論になり、私が激高する。父が私を嘲笑う。子どもたちにとっては最悪な環境である。

そんな中、私は飼い犬ココの世話に手を焼いていた。私の手が回らず、相手にされないココもまた苛立っていた。

ココは私が結婚する前から飼い始めた子で、当初はとても臆病で繊細でおとなしく、滅多に鳴き声を聞くこともなかった。本当にかわいがっていたし、子どもが産まれるからといって手放すことなど考えなかった。

唯一、頭を悩まされていたのがマーキングだった。雄犬だから完璧にしつけることは難しいと動物病院で言われたが、ベッドや布団にされることは何かと厄介だった。次男が産まれて気持ちに余裕のない私にココが追い打ちをかける。かろうじて一日2回の散歩は欠かさなかったが、しなければならない義務のように行っていた。
ココは人の気持ちを敏感に感じ取る犬だったため、自分の優先順位が格段に下がったことにストレスを感じ、構って欲しいがためにマーキングをするが私に怒られる。次第にエスカレートし、子どもたちが揃って泣く時間にタイミングを見計らったかのように布団にマーキングをする。
まるで私を馬鹿にしているようで大声を上げて怒った。直ぐ側にあったものを投げた。ココは怯えて逃げていったがそれをまた追いかけた。そんなことを繰り返す内にココはみるみる凶暴化していった。

散歩に出れば人、車、自転車、何にでも食ってかかるように吠えだした。
私がココを変えてしまった。そうとも知らず今日も散歩しなきゃ、手がかかる、3人目が産まれたらどうなるんだろうと自分の都合ばかり考え、いつしか負担を感じるようになっていた。

そんな矢先、あと2日で年が明けるという12月30日の夕暮れ時、その日はゆったり過ごすことができたのでココを思いきり走らせてあげようとノーリードで遊んでいた。実家はど田舎で人は勿論だが車も滅多に通らないという特性を把握しての事だった。何回かそのように遊ばせていてココが私の直ぐ後ろをついて来るのを知っていたからその日もそうしたが、最悪の事態が起きてしまった。

遙か向こうから車が走ってくるのが見えたため、ココを呼び止めた。しかしココは私を通り越して視線を車に向けている。焦りでココを呼ぶ声が大きくなる。ココが加速する。
走って私と母が追いかける。聞こえないと分かっていながらも車に向かって必死に止まってと叫ぶ。離れた距離の真正面からココが向かってくるのだから見えるだろうと思いながら走って追いかけるも車が減速する様子もなく向かってくる。なぜ気づかないのだろうと一層焦りを感じながら、半分泣きながらココを追いかけた。ココもまた何のためらいもなく車に一直線に向かっていく。
もう頭の中が真っ白だった。ただ必死に泣き叫ぶしかなかった。

ココは一瞬で車の下敷きになってしまった。走って駆け寄りその姿を見た瞬間、手の施しようがないと悟った。

その日は泣いても泣いても涙が枯れることはなかった。
頭の中で何度も流れる事故の映像に呆然としながら、私が負担に思っていることをココが感じ取り、そんなに大変なら僕から姿を消すよと、そんな風に思えて仕方がなくひたすら自分を責めた。
全部私のせいだ、私がココを殺したんだと。主人にはそんな解釈は自己満足でしかない。誰もそんなこと思ってない。起きた事実はもう変えられないのだから、起きたことを受け止めてこれからどうするかが大事なんじゃないかと言われた。

確かにその通りかもしれないが、私には自分を責めることしかできなかった。しばらく心にぽっかり大きな穴が開いた状態を埋めることはできなかった。

度重なる不運

年が明けて春らしくなってきた3月のある日、長男と次男の髪を切りに行くからと三男を母に預けて外出した。母乳育児だったが、預けるときは搾乳までしなくていいやと私の意向でミルクで対応してもらっていた。
この日もそうしたのだが、またしても最悪の事態が起きてしまった。

美容室に着いたものの待ち時間が長くソファに座って遊んでいる子どもたちを眺めていた。ふいに駐車場の方に目を向けたとき、妹の車が入ってくるのが見えた。同じ用事で来たのかと思い手を振ったが妹の様子がいつもと違うことが直ぐに分かり走って駆け寄った。
妹の口から三男がミルクを飲んでアナフィラキシーショックになり救急搬送されたことを聞き体が硬直した。

携帯を確認すると母から着信が何件もあった。どうやら私と連絡がつかないためにたまたま近くにいた妹に伝言をお願いしたとのことだった。
何がどうなっているのか分からないまま子どもたちを預けて大急ぎで病院に向かった。運転しながら母に電話をかけると涙声で経緯を説明されたが半分パニック状態で内容が頭に入ってこなかった。話を遮る形で息をしているのかを聞き、大丈夫だと返事をもらって電話を切った。車を飛ばすも自然と出てくる涙が視界を遮り信号無視しそうになった。

急ブレーキで停車した時ココの顔が頭に浮かんだ。このままでは今度は自分が交通事故を起こしてしまうと思い、ようやく冷静さを取り戻した。

病院には私の方が先に到着して間もなく救急車が到着した。母が三男を抱えて降りてきたので駆け寄ってみると面影がないほど顔が腫れ上がり弱々しい姿になっていた。直ぐに処置が始まり、幸い命に別状はなく一日の入院で事なきを得た。

退院してからもしばらく、短期間の内に2つもの命を失いそうになったのは何かの警告だろうかと考える日々が続いた。
何度考えてみても私が感情的になって周囲に当たり散らしたことが原因としか思えなかった。とにかく今のままでは駄目だ、変わらなければと思いながら主人に相談した。

私の実践法 感情的なスイッチをオフモードに

主人には端から見ていて育児に力を入れすぎているように感じると指摘された。無意識のうちに子どもたちにハードルの高い事をさせようとして自分を追い詰めてイライラしているように見えると。

思い返してみると確かに幼い子どもには言い過ぎだったなということがいくつかあった。正しいかどうかは分からないが、私はとにかく感情を押し殺すことから始めた。
今まで感情のスイッチを直ぐに入れていたため、当然苦しい。イラッとくる出来事に直面しても一呼吸して感情を無の状態にするという謂わば訓練のようなことを試した。笑うこともなくほぼ無表情で生活する日もあったが、次第にそれが馴染んできた。

今では子どもに対してイライラすることがさほどなくなり、私が穏やかに接することで子どもたちの変化も見えた。
少しずつ心の距離を感じていた夫婦の関係も修復できた。

自分が人を嫌えばその人にも嫌われる、怪訝な顔をしていれば相手にも同じ顔をされる。イライラしてばかり生活していると不運しかやって来ない。そんな当たり前の原点に今一度戻り、自分の感情を整理することができた。

もっと早くここに辿り着いていれば取り返しのつかない出来事にも遭遇しなくて済んだのかもしれないとも思うが、この教訓を忘れずに同じ過ちを繰り返さないよう肝に銘じてこれからを過ごしていこうと思う。